先日、福祉の専門学校に通う学生の話を聞く機会があった。その子は高校の先生から、専門にする仕事の初任給などを調べて専門学校を選んだ方が良いと言われたそうだ。その子はお金のために福祉の仕事をするんじゃないと激高したそうだ。先生にしてみれば、仕事の経済性を考慮して仕事を決めた方が良いと言いたかったのかもしれない。僕たちはお金を稼がないと生活することはできない。しかし、お金だけで仕事を選ぶことはできない。
バイトの後輩に最近昇格した子がいる。「シフト貢献性(たくさん出勤した)だけですから」と自嘲気味に笑っていたが、昇格をとても喜んでいた。このまま頑張ってほしい、そう思う一方で彼の将来に一抹の不安を感じる。彼はいわゆるフリーターであって、将来を保障されているわけではない。技術面でみても、専門性がつく仕事ではない。これからずっとこの仕事をやっていくつもりなのだろうか、もっと将来を考えて仕事を選んだ方が良いのではないか。そう思ってしまう。でも何の仕事に就けば、将来を考えたことになるのだろう? 正社員になれば将来を考えたことにはなるのだろうか。
何ヶ月か前に転職した同級生がいる。業務用の花を扱う店の交通誘導員のバイトをしていたところ、そのお店から就職の誘いを受けたのだ。彼は見知らぬ業界で不安だったようだが、ほどなく就職した。数ヶ月後、再び会った彼は私に仕事の愚痴をこぼした。社員同士の軋轢に巻き込まれて大変だということ、結局単純労働しかやっていないこと、そもそも花のことはよくわからないし好きでもないということ。「そんな仕事辞めてしまえば?」と言いたかった。しかし30歳を間近にして、手に入れた正社員という保障を手放すようなことを冗談でも口に出せなかった。
鉄道で働きたかった大学の同期がいて、努力のかいもあって鉄道会社に就職することができた。しかし配属はバス・自動車事業で、おそらく将来的に鉄道の仕事に就くことはないらしい。そのときはわずかに心配したものだが、5年後の今も彼は涼やかに仕事をこなしている。本当のところは分からないけれど、自分の好きに仕事が進められる今の現状も気に入っているようだ。転職すれば鉄道の仕事に就ける機会もあるかもしれない。でも、今の仕事を手放す意味はあるのだろうか? やりたい仕事をするべきか、やりたいようにできる仕事をするべきか、そこに明確な結論はない。
僕らはお金がなければ生きていけないから、人生の大半を働いて生きる。お金がないと生きていけないから、安定した職につきたいと願う。将来のことまで考えて仕事につきたいと考えたりもする。でもなぜそこまでして生きていかなければならないのだろう? 家族のためか、自分のためか、それとも他の何かなのだろうか。たとえば僕が働いているITという仕事は、地球の輪廻で考えたとき意味のあるものなのだろうか? たとえばあなたの働いている仕事は、生命の営みにどれだけ必要なものなのだろうか? なぜみんな必死に働いて、勝ち組とか負け組とか騒いだりもして、財を築いていくのだろう? 最後には土に還るだけなのに、なぜこんなにも必死に、仕事を行うのか。
結論のでない哲学を突き詰めて考えてみても心の力が弱まっていくだけだ。結局のところ僕らは一所懸命に、わけもわからずひたすら生きていくしかないのだ。
ああ、こんなにも愚かな文章に3時間もかけてしまった。こんな駄文の最後はモー娘。でしめよう。
だ〜れよりも わ〜たしが〜、私を知ってるから〜
だ〜れよりも 信じてあげなくちゃ〜
(いぇえ〜〜)
人生ってすばらしぃ〜
ほら誰かと出会ったり 恋をしてみたり〜
ああすばらしぃ〜 ああ夢中で笑ったり泣いたりできぃ〜るぅ〜
いえっへぇ
モーニング娘。 「I wish」より (歌詞は見たまま聞いたまま)
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